バブルの残滓は確かにあった時代。

 久しぶりです、えすです。気がついたらもう6月終わりますね。

約2ヶ月ブログ放置して何してたかと言うと、転職してました。働き始めてから2桁年ついに転職回数も2桁いきました。イヤッフー☆ジョブホッパー。

私はアラフォーで年齢的には俗に言う就職氷河期世代にびみょーに該当するのですが、ありがたいことに地方住みなのもあり正社員での就職先がなくて派遣やバイトで食い繋ぎコロナ渦の現在困窮して~みたいなニュースになるような事態には陥っておりません。嘘ですお金は常にないです、毎月きゅうきゅうしながら生きてますがわりと幸せです。とは言えタイミングもあり正社員だったり派遣だったり、一時期そもそもガチで働きたくなくてバイトで気楽に暮らしてたこともあります。

で。あれこれジョブをホッパーしながら現在も基本サービス業で生計を立てておりまして、その原点は社会に出て一番始めに就職したバス会社でバスガイドをしていたところにあったりなかったりです。

新型コロナウィルスが流行して大打撃をうけている観光業界ですが、そもそも2000年頃から観光地は賑わえど観光バス会社自体は斜陽期を迎えておりました。今新卒でバスガイドを採用して自社で教育してる会社はごく僅かだと思います。

あれね、ほんと時間と金かかるんですわ。しかも若い娘さんがするにはかなり過酷な仕事で離職率高い。

私が就職した会社は同期が30人くらいいましたが、2年後には残り10人切ってました。てか私も丸2年で退職したし。


会社としては30人雇い入れても即仕事に出せる訳ではなく、最低3ヶ月は新人研修として業務内容についてや「右手に見えますのは~」ってあの各観光地の案内を学ばせるわけですよ。しかもその3ヶ月でバリバリ働ける一人前になれる事はなく、最低限近場の観光案内が出来る程度です。毎日毎日ひたすら案内のカンペみたいなテキストを暗記してました。テキストがあるんですよ、あれ実は。サービスエリアとか観光地の関係者しか入れない乗務員休憩室とかで売ってたりバス会社が独自に作ってたりします。

近場から始めて日帰りの簡単な仕事をこなしつつ、泊まり掛けで実際観光地に新人研修に行ったりもしつつ徐々に案内できる範囲を拡げて行って。でも観光地は新しく出来たりなくなったり日々情報は更新されるわけで、常に勉強の必要な仕事でした。下見の研修に行ったことのある所なら様子がわかるのでやりやすくても、ベテランになると始めて行くテキストもないような所に行くのにあれこれ情報を集めたり。

だいたい丸一年はほぼ勉強メインなのに給料は発生するので新人教育はほんとお金かかるそうです。

そして女ばかりの環境なので非常に陰湿でしたね。 先輩の言うことは絶対。10年選手の先輩なんてまぁ性格キッツイったらありゃしない。バスの運転手もお客さんも十人十色いい人もいれば殺意わくような人もいました。今この年齢だと軽くあしらえるようなことも、新卒の小娘にはかなりのストレスでした。実際私は若干精神を病んで辞めました。暫くはバスのエンジン音聞くのも恐怖でしたね。


辞めた当初はいい思い出なんてなかったバスガイド時代でしたが、あれからかなりの時間が経って改めて振り返ると笑い話です。サービス業の基本を教えて貰い、人あしらいの基礎を覚えました。バス会社を辞めて以降次の職場に移っても「バスガイド時代の厳しさに比べればこれくらい余裕だわ」と思えたのもいい経験だったと思います。

ただ、当時はまだバブルの残滓がありお給料は滅茶苦茶良かったです。繁忙期は1ヶ月休みなく働くこともあったけどその月は手取りで30くらい貰ってましたし、お客さんから心付けを頂くことも多かったです。

ちなみに現在はバスガイドも当時ほどお給料良くないみたいですね。あれこれついていた手当ても相当少なくなっているみたいです。あの頃は何も思いませんでしたが、今考えたらバブルの恩恵だったのでしょう。


その後アパレル業界に転職して思ったのは、仕事を決める時にまず「給料はいいが自分の時間はない」か「給料は安いが自分の時間はある」の2択を選ばなければならないってことでした。アパレルは給料安いです。マジで。

この時間と給料のバランスは今でも自分の中では課題です。


まあ結果、楽してお金は稼げない。これに尽きます。



コメント